京丹後網野出身野村克也

京丹後網野出身野村克也さんが亡くなったそうです。

ノムさんは、幼少期からとても苦労された人で、母子家庭で多忙な母親を楽にさせてあげるため金持ちになるため、自分に可能性があるプロ野球選手を目指し見事に目標を達成しました。ノムさんは、幼少期家計を助ける為、新聞配達、牛乳配達とアルバイトで母を助けてました。ノムさんは野球をする事にも貧乏ながらも協力してくれた母だったとインタビューで話してました。

中学を卒業し、峰山高校に進学しましたが峰山は、網野から約15キロほどあります。その距離をランニングで通学してたそうです。もちろん雨の日も雪の日も⤵️昔の丹後の冬は、大雪が度々あり約15キロの道のりをランニング通学してたとは現代では考えられませんね。そんな、苦労がノムさんの肉体、精神力の礎になったのだと思います。田舎のこの町からプロ野球選手を目指すなんて当時の京丹後では、考える人は居なかったでしょう。多分、プロ野球選手になる事を馬鹿にする人もいてたと思います。そんな幼少期の辛かった事を思い出すのが嫌だったからなのかプロ野球選手になってからは、地元への帰省が少なかったらしいです。数年前、ノムさんが母の墓参りに何十年ぶりに網野に帰り墓参りをしてる様子をテレビで流してました。なんとその墓は、私の母の墓から30メートルほど上にありました。ビックリ‼️

ノムさんの母の墓だから立派な墓だと思って見に行きましたが、一般的な墓でした。😊

墓の隣りには、ノムさんの名言が刻んである石が置いてあったと思います。京丹後のスーパースターは、ノムさんが最初で最後だと思います。こんな人を京丹後市は、邪気に扱ってる部分があると感じます。こんな凄い人が京丹後の出身なのだから、もっと市をあげて記念碑、銅像等作り野村克也を生前から応援して欲しかったと思います。たいがい偉業を果たした人は、本人が亡くなってから功績をたたえる風習があり、とても疑問に思います。

戦後最初の3冠王

野村克也さんお疲れ様でした。

おわり🐶

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